日本の住まいと窓装飾の変遷

日本の住まいと窓装飾の変遷 ウインドウトリートメント カーテンの歴史
今回は、日本の住宅の移り変わりと、それに伴う窓装飾の変遷についてをご紹介します。

1.平安時代~大正・昭和初期

 
日本の住まいと窓装飾の変遷 大正時代や昭和時代のカーテン 窓掛け

日本建築における窓は、「間戸」(まど)を語源とするという説もあります。柱と柱の間に付けられた戸という意味で、蔀戸(※しとみど:板の両面に格子を組んだ戸)や襖などを指すものだったのです。間仕切りや人目を遮るものとしては、平安時代から几帳(きちょう:絹の織物のついたて)や御簾(みす:竹製のすだれ)、壁代(かべしろ:絹の織物で壁面に掛けられた布)などが使われており、武家時代になると壁や襖、障子がこれらにとって代わることになりますが、カーテンにあたる窓装飾はありませんでした。

現在でいうところのカーテンが日本で実際に使われるようになるのは幕末から明治にかけての時代であったと考えられています。当時は「窓掛け」といわれ、ほとんどが輸入品の重厚で高価なものでした。「カーテン」という言葉が使われるようになったのは明治末期になってからで、素材として綿、毛、絹、麻等が用いられて、国内で生産され始めました。
大正期に入って中産階級が増え、生活改善運動の影響もあって次第に広まっていき、関東大震災後は建築の近代化及び洋風化が進み、カーテンも増えてはきましたがまだ一部の上流階級のものでした。

2.戦後のウインドウトリートメント

日本の住まいと窓装飾の変遷 カーテンの文化 ライフスタイル

◇1945(昭和20年)~1955年(昭和30年)

1945年8月 
“太平洋戦争終”“困窮と不安の混乱期”“物不足の時代”
1950年   
“朝鮮戦争勃発”“軍事需要をきっかけに日本経済の復興が急速に高まる”
1955年代
・繊維産業は輸出、内需ともに活発化、生産力の増強。
・宅地の分譲、公営、公社住宅、マンモス団地の建設始まる。
・住宅建設の促進に伴い、内需用室内装飾織物、壁素材、カーテン、椅子張り用生地の生産始まる。
・住宅の洋風化。

カーテンが一気に一般家庭に普及したのは、1950年代半ばのことです。終戦からおよそ10年、急速な経済発展が始まり、都市部に人口が集中するようになった時代です。都市部の住宅不足を解決するために、住宅の大量供給を目指して日本住宅公団(※)が設立され、テーブルと椅子で食事をするダイニングキッチン、ベランダに面して部屋が並ぶライフスタイルが広がりました。椅子を使う洋風の暮らしの窓にはカーテンが似合います。茶の間からリビングルームへの移行が日本にカーテン文化をもたらしたといえます。
(※)日本住宅公団は、日本にかつてあった特殊法人。勤労者のための集団住宅や宅地の造成建設・賃貸・譲渡、新市街地造成のための土地区画整理事業等を主目的として、1955年に設立された公団。1981年、宅地開発公団と統合、住宅・都市整備公団となった。現在の都市再生機構の前身の1つ。

◇1960年(昭和35年)

“第一次住宅ブーム”“流通革命(量販店の進出)”
“1964年(昭和39年)東京オリンピック”
・原糸メーカー主催のカーテン展示会が行われる。
・バーチカルブラインドの国産化。
・プラスチック製カーテンレールの発売。C型、I型レール、家庭用セットレールの発売。
・カーテンでは畝織(二節、エデン)と、レーヨン使いの無地バニラン組織、両面マシンプリント等が全盛。
・ポリエステル使いのレースカーテンの生産始まる。
・アクリル、アクリル系(カネカロン)、ポリクラール系(コーデラン)の研究、生産始まる。
・カーテンのデザインでは、北欧調スカンジナビアデザインが流行。
・ケースメント(ドレープとレースの中間の性格を持ち、すかし織りのものが多い)の生産始まる。

◇1965年(昭和40年)

日本の住まいと窓装飾の変遷 カーテンの流行

“高度成長期”“第二次住宅ブーム”“住宅メーカーの進出”
・ブラインドメーカーによる、オーダーカーテン見本帳による販売。
・三重織ジャカードによる遮光カーテンの普及。
・ストライプ、チェックの流行。
・北欧調モダンデザインと平行して、ドイツ、オランダ等の大胆なモダンデザインのプリントが流行。
・レースはポリエステル糸使いが主体。

1965年代に入ると、遮光、遮熱、防音等の諸機能を持つカーテンが登場し、1973年の第一次オイルショックを境に、省エネに対する関心が一般の人々にも広まりカーテンは家庭の必需品として定着していくことになります。

◇1970年(昭和45年)

“列島改造ブーム。オイルショック(昭和48年)”
・オーダーカーテンの定着。
・カネカロン(合成繊維の一つ。塩化ビニールとアクリロニトリルの共重合物)、コーデラン糸(ポリビニルアルコールと塩化ビニールを共重合させた合成繊維のことで、難燃性が最大の特徴)使いの防炎カーテンの普及。
・細巾(15㎜)ベネシャンブラインド発売。
・ロールスクリーンの生産始まる。
・装飾カーテンレールの販売。
・ドレープカーテンでは、合繊使い、二浴後染ジャカード、アクリル綿ネップ使い、アクリルハイバル糸使いストライプ、チェックが流行。
・レースでは、チェーンラッセル、ジャカード落下板(柄を浮き上げた)全盛。
・ドイツ、オランダのモダンデザイン流行。

◇1975年(昭和50年)

“低成長期”“自然回帰”
・ドレープとレースの二重吊りカーテンの定着。
・ドレープとレースのペア柄流行。
・ドレープでは風通織ジャカード、ナチュラル感覚の織物、多色無地カーテン。
・プリントでは、クラシックな花柄、メルヘン柄の流行。

◇1980年(昭和55年)

“不確実性時代”
・ポリエステル、アクリル、難燃アクリル糸による合繊化の普及。
・出窓の普及によるスタイルカーテンの開発普及。
・ブラインドの多様化、ロールスクリーンの本格発売。
・装飾レールの普及。
・出窓、浴室用ブラインドの発売。
・カーテンではカジュアルな抽象柄、バイヤス構成の幾何柄、ナチュラル感覚のヨコ段柄が流行。

◇1985年(昭和60年)

日本の住まいと窓装飾の変遷 窓装飾エレメント カーテンの普及

“不確実性の時代からバブル景気”
・スタイルカーテンの多様化と普及。
・高級輸入カーテンの急増。
・ローマンシェードの定着。
・装飾レールの一般化。
・カーテンでは風合い重視(軽、薄、しなやか)、ボイル地、紗織、シワ加工等シースルー調無地、オパール加工等シアーカーテン開発普及。

日本が経済大国の一員になると、生活者の中に住空間を充実させたいという思いが高まり、インテリアブームが巻き起こります。食事や衣服に続き、自分好みのテイストを大事にした生活空間で、上質な暮らしを楽しみたいという思いを持つ人が急増したのです。こうしたニーズを受けて、1980年代後半にはローマンシェードやロールスクリーンといったカーテン以外の窓装飾エレメントが日本でも浸透し始め、またテイストやカラーなども多彩に展開され始めました。

◇1990年(平成2年)

“バブル景気崩壊”“価格破壊”
・形状安定加工、レース、ボイル生地の広巾化。
・転写プリントの普及。
・ピーチスキン(超極細繊維を用いた高密度ポリエステルの表面を引っ搔き、表面の単繊維を引き出して短く切って桃の肌のような感触にした布。)等、新合繊使いのカーテンの販売。
・各種機能性加工カーテン(消臭、抗菌、防カビ、タバコ消臭・・)の開発販売。
・シアーカーテンの多様化。
・無地調レースの増加。
・韓国、中国からの低価格既製カーテンの輸入。

◇1995年(平成7年)

日本の住まいと窓装飾の変遷 ホームファッション カーテンの人気

“繊維産業の空洞化”“高齢化住宅”“低価格と掛率競争”
・東南アジアからの既製カーテンの輸入増。
・遮光カーテン人気急伸。
・ストライプ構成によるダマスク調ジャカードの流行。
・チャネルテーストの多様化(見本帳の多分冊化)
・ホームファッション(1990年代に欧米で生まれた、家具、照明、インテリア、室内装飾品、アートなどを統一されたコンセプトをもって、ファッションのようにコーディネートするという考え方です)
・プリーツスクリーンが定着。

本格的なインテリア時代を迎え、カーテンは優れた品質・機能はもちろんのこと、ファッション性の高いインテリアファブリックスとして受け入れられており、個性化・多様化の時代の中で、その表現手段の重要なエレメントになってきています。
 
このように、窓装飾は住宅や環境の変化、人々のニーズとともに変遷をたどってきたのです。 

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